Story

母が教えてくれた幸せの流儀まりこ

母が教えてくれた幸せの流儀

ザワザワ。ザワザワ。友達の結婚報告を聞くたび、心の音が響いてくる。寄せては返す、不安の波。私、結婚できるのかな。三人姉妹で、まだ独身は私だけ。

「まだ(嫁に)行かないの?」
「もう三十でしょ?」

そんな世間の「まだ」や「もう」にひたすら胸を痛める日々。結婚相談所にも通った。お見合いもした。婚活パーティにも行った。ありとあらゆる手段を行使してもパートナーに巡り会えず、自信と希望を失った。結婚できない自分はダメな人間だとレッテルを貼った。孤独だった。寂しかった。

クリスマスのチキンは一本。二人前の麺だって一度に使い切ることはない。大晦日に蕎麦をすする音はひとつ。それがどうした?って思えたらどんなに良かっただろう。それがどうしようもなく切なかった。

三十回目の婚活パーティのあと、なんとなく実家に立ち寄った。だけど家が近づくなり怖くなる。行こうか行くまいか。身体も心も、止まる進むのくりかえし。どうだった?なんて言わないで。どうしたの?なんて聞かないで。どうか、どうか。

そんな気持ちで玄関に入ると。「おかえり」と母の声。眠そうな声でちょっとだけ目をこすって。しかし私を気遣ってか「どうした?」とは言ってこなかった。そんな優しさが身に沁みた。

「またダメだった」
「そう」
「もう結婚できないかも」
「そう」
「親不孝だよね、わたし」
「そう?」

母は語尾を上げた。しばらく長い沈黙のあと、母は口を開いた。

「結婚せずにいるのも、心配。結婚したって、心配。結婚してばかりも、心配。親って複雑よ」

母は笑って見せた。だけどそれが母の本音だった。一番上の姉は結婚を二度しており、二番目の姉は授かり婚。キラキラした新婚生活どころか育児に奮闘する日々だった。

「毎日楽しそうに過ごしてくれれば、それだけで親孝行よ」

最後に母はそう締めくくった。
これが母の幸せの流儀だった。

大事なことはパートナーを見つけることじゃない。自分なりの幸せを見つけることなんだ。母の言葉からそう教わった。

自分なりの幸せ。それは自分を見失うと見えなくなる。世間の常識や、年齢、性別に縛られて動けなくなると、心まで縛られてしまうんだ。

「そのままでいい」と誰かにそう言ってもらえたらどんなに楽だろう。だけど本当に認めるべきは自分自身なのかもしれない。自分だけは自分の味方でありたい。自分のファンでありたい。たとえ雨の日も、涙の日も。

あれから半年、特に変わったことはない。気になる人が現れることもなければ、そういう機会すらない。一方めでたいニュースは相変わらず続く。結婚ラッシュに、ベビーラッシュ。顔を真っ赤にして喜ぶ友人をよそに、私は大赤字。いやはや、嬉しいのやら切ないのやら。

だけどひとつだけ変わったことがある。それは婚活相談所を解約したこと。「勇気」というほどカッコよくはないし、「覚悟」というほど強いものでもないが、曲がらない「意志」がそこにはあった。

陰ながら支えてくれる母のためにも私は思いたい。結婚しなくても幸せなんだ、と。結婚は諦めても、幸せは諦めない。そんな気持ちで今日もグッと前を向く。