Story

同居犬は最愛のパートナー石川 明世

同居犬は最愛のパートナー

「おはよう。よく寝れた?」朝、目が覚めると、枕もとで私の顔をカリカリとひっかく愛犬ヘススに声をかける。ヘススともう一頭の愛犬バニーはチワワの母子。みな同じ布団でいっしょに寝ている。

両親が他界し独身の私にとって、彼らはかけがえのない家族である。口はきけないが、その全身が言葉よりも物語っている。犬は悪口を言わないし、陰口を叩かない。告げ口もしないし、秘密も漏らさない。説教もせず、文句も言わない。読書や書き物に興じる私のそばに寄り添って、いびきをかいている。これ以上の良い友があろうか。

彼らは単なるペットではない。伴侶、恋人のような存在である。健康の為に一人で散歩に出かけるのも悪くないが、彼らが一緒だと途端に会話が増え、子供時代のように心が浮き立ち、散歩にも味わいが増す。

雨や雪の日にヘススと散歩に出ると、さして歩かないうちにヘススは立ち止まり、私を見上げる。今日は足もとが良くないから、もう帰ろうよと言っているかのようだ。私が引き返そうとすると、ヘススの足取りは軽くなる。

同じ私を見上げるのでも、時と場所によっては、全く異なったニュアンスをもつ。近所の一角を一回りするが、広い歩道の下り坂が始まろうとする所に差し掛かる。ヘススはここでも同じ体勢を取る。次の行動に備えて。よーいどん!とヘススは走り出す。この時ばかりはほんの短い距離だがダッシュをする事にしている。ヘススもたまには走りたいだろうと思うからである。ヘススがいるから走る。ヘススは弾丸のようだ。それでもヘススは大分加減してくれているのだろう。ヘススが本気で走ったら、二本足の私などは到底かなわない。田舎暮らしで車に頼り、運動不足のためか、最初の頃は足がすぐ重くなったが、少しずつ体がなれてきた。

ヘススの母犬・バニーは散歩で走らない。日の光を浴びさせ、排泄等をさせるために連れ出す。少し歩いたかと思うとうずくまったり、座ったりする。バニーはヘススよりも神経が細やかな所があり、近くを通る車や電車の音を恐れているようだ。メス犬はオス犬と違って、一度にまとめて排尿する。前かがみになって用をたす姿すら愛おしい。すれ違う人が可愛いねと声をかけてくれるが、バニーはパッと横に飛び退く。バニーなりに自分で身を守ろうとするようだ。

バニーと私が散歩から帰ると、お帰りなさいとばかりに、ヘススは戸口で待っている。母犬に体をすりつけ、私の目の前で尻尾を振り、撫でられやすい体勢を取る。人間のお出迎えに勝るとも劣らない。天涯孤独を忘れる。

まさしく犬中心の生活である。自宅の数箇所には読み終わった新聞やフリーペーパーを敷いてある。あちこちでつい粗相をしがちなヘススのために。特にしつけたわけでもないのに、ヘススはそこをトイレとしてくれる。前に飼っていた先住犬のする事を見よう見まねで覚えたのだろう。トイレの片付けも私の仕事のようなものだ。それは彼らが生きている証拠である。掃除も増えるし、食費もかかる。それでも彼らにいてほしい。

聖書には、人が一人でいるのはよくないとかかれている。それは結婚にかぎらないだろう。人間関係で傷ついたり、問題や悩みを抱えると彼らを抱きしめる。するとこの子たちがいるから何とか生きていけそうな気がしてくる。神様は人間のために動物を作ったのではないかとすら思っている。

鶏の手羽先、デザート、パンをみんなで分け合い共に食す。来訪者があると吠えて知らせてくれる。犬を含め動物というものは、与えた分だけ与え返してくれる。犬は私の毎日を豊かにしてくれる最愛のパートナーだ。