未婚の私が抱く『夢』は結婚や出産じゃなかった森のこ
その時の私を思い出すと、とにかく毎日疲れていた。疲れているのに眠れないから、昼間は毎日毎日眠い。胃痛が続いたので病院に行くと、精神安定剤を渡された。
どうして私は、こうまでしてこの場所で働かなくてはならないのか。漠然とした疑問があった。すでにもう、限界だったように思う。「辞めます。」そう告げた。
住んでいた県を離れ、住み込みで働ける旅館を1年間転々とした。自然に囲まれ、周りには何もない。布団だけ敷かれた、がらんとした部屋で、テレビも付けずに過ごした。
私はもう35歳だった。
あの専門職以外に、私にできる事は少ない。
何故この道を選択してしまったのか。
「結婚はしないの?」転々とした先で、聞かれる事はほぼ同じだった。いつも嫌な気持ちになったけど、笑顔で「私、少し変わってるんです。」と、答えていた。
仕事を辞める直前、母に言われた言葉がある。「私だったら、結婚もしてない、子供もいない先生に子供を見てもらいたくない。だって、おかしいでしょ。普通じゃないんだから。」
私は、ただ、涙が溢れた。結婚より仕事を優先し歳を重ねた私は、経験を評価されるのではなく、普通じゃないというレッテルを貼られていた。どうして結婚したいの?と聞かれたら、理由は子供が欲しいからだったし、どうして子供が欲しいの?と聞かれたら、母が女として生まれたからには出産すべきだと言ったから、だった。安心させるのが親孝行だ。
そうだ、私は私だけの私じゃない。
ずっとずっとずっとそう考えて、苦しかった。
だから私はあの日、それを放棄したのかもしれない。私を拘束するもの全部。電話番号も、住む場所も、一緒にいる人も、全部。結果、なくては生きていけないほど大切なものなんて何もなかった。
何もない自分と静かに向き合った時、過去の辛い記憶に襲われたけれど、その度に私は、私の楽しい事、好きな事、褒められた事、素敵なことを考えてみた。
そういえば昔、私は絵本を書いてみたいと思っていた。けれど私は美術の勉強もしていないし、文学も専攻していないから、無理だろうと思って諦めた事を思い出した。
思いたって絵本のテキスト講座、というのをインターネットで見つけて、参加を申し込んだ。久々にワクワクした事だった。こんな素敵な事を仕事に出来たらと思ったけれど、すぐに現実に戻された。周りを見渡すと、同年代の人はあまりいない。私とは違う、まともに結婚して子育てを終えた普通の人達のように見えた。
私はまた、諦めそうになった。
でもその時働いていた職場の人の中に、絵本を書いている人がいる事を知った。それは男性の上司で他部署であったし、なかなか聞きたい事が聞けずにいたのだが、ある時ついに話すことができた。絵本を書いていると聞きました、と声をかけると「描いたことがある、というだけですよ」と返ってきた。館内の図書室に置いてあるかどうか聞くと、手元に一冊あると封筒に入れて持ってきてくださった。それは夢について書かれた本だった。今この本が私の元に来たことに、なんだか意味を感じた。
その絵本は、「大切なあなたへ」という優しい言葉で始まる。途端に、私も描きたいと、想いが湧き上がった。かつて毎日真剣に向き合った、私の生徒であった、あなたや、あなたへ。私は生徒達をずっと見守る事はできない。けれど、たまに思い出しては、健やかに、幸せに笑っていて欲しいと願っている。私の本を手に取るあなたが、幸せになりますように。そんな願いを込めて、あなたに絵本を作りたい。
そこにはダイヤやドレスはないけれど、同じくらい輝く私の大切な『夢』が、たくさん出番を待っている気がするのだ。